another day

Nov 25




“あ、でも非正規雇用を規制で減らして、農業や医療に回せば、ある意味で
「同一労働同一賃金の達成&非正規雇用比率の抑制」かもしれない。
公約違反にはならないかな。 ※ (1)については、流動化すれば切り分ける必要がなくなるので、自然消滅していくはず。 ※2 「同一労働同一賃金って共産主義のことですか?」と真顔で聞いてきた自民党は論外”
民主党が同一労働同一賃金を絶対に実現できないわけ - Joe’s Labo

“アメリカ空軍は現在、複数のレーダーの画像を組み合わせてさらに高い解像度の画像を合成する技術や高解像度の動画の処理、脳のような動きをするスーパーコンピューティングの研究などを336台のPS3を用いて行っていますが、さらに2200台が追加されることになります。 また、空軍は新たにPS3を2200台追加した上で、PS3に搭載されているCellプロセッサの演算能力がどのアプリケーションに最良に適合するかを研究する予定であるとされており、研究結果は軍のシステムに対してCellプロセッサやアプリケーションがどのように活用されることになるのかを決定する材料になるとしています。” アメリカ空軍、軍用のスーパーコンピューターを作るためにPS3を2200台発注へ - GIGAZINE

“で、スパコンの話にもどるけど、おれはあの予算はいらないとおもうぜ。
世界の趨勢は、民生用の莫大な需要に対して莫大な予算をかけて製造された高性能CPUを並列に並べているスパコンが主流であり、スパコン用チップを専用に開発したってスパコンにしか使えないので、結局民生用のCPU並列演算に負けてしまうってことだな。たしかに今回のスパコン用予算よりも民生用パソコン向けCPUの研究開発予算のほうが桁が違うくらい予算が大きそうだ。”
まだ、次世代スパコンなるものの、仕分けとやらで揉めているのか。あほらしい。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

“今さらの説明だが、商品の価値は三つの形態をとる。
第一のものは使用価値。
これは商品そのものに内在している機能であり、誰が持っていても、どこにあっても変化しない。
タワシの使用価値は「それで鍋を洗うことができる」ということであり、これはタワシ本体に内在しており、(鍋を洗いすぎてタワシが損耗するまで)変化しない。
第二のものは交換価値。
これは商品そのものに内在している機能や性質とかかかわりなく、それに対する需要と供給の関係で決定する。
「猫に小判」「豚に真珠」という東西の俚諺が教えるように、需要のないところでは「そことは違う場所」ではどれほど貴重なものであっても無価値である。
人外魔境で、暖を取るために札束をじゃんじゃん燃やす場面がときどきあるが、それが交換価値の図像的表現だと申し上げてよろしいであろう。
『イルザ シベリア女収容所 悪魔のリンチ集団』ではダイアン・ソーンが、『クリフハンガー』ではシルヴェスター・スタローンが景気よく札束を燃やしているが、この人たちを観ていると交換価値についてよりはむしろ「世の中には金の価値がわからないタイプの人間がいる」ことの方が身にしみるような気がするのは偏見であろうか。
第三のものが象徴価値。
これは「所有者の所属階層を指示する記号的機能をもつ」商品の価値である。
後期資本主義社会では、市場を行き来する商品の90%は使用価値でも交換価値でもなく、象徴価値に基づいて値付けされている。
象徴価値とは平たく言えば「アイデンティティ指示機能」のことである。
どういう商品を持っていると、所有者が「何もの」であるかがわかる。
フェラーリとか、自家用ジェット機とか、外洋クルーザーとかを持っていて、誇示している人間は「金持ちで、趣味が悪い」ということがわかる。
そういう指示機能のことである。
1980年代から以降の経済活動はほとんどがこの「アイデンティティ基礎づけのための消費」に依存するようになった。
「名刺代わり」「表札代わり」に消費行動を行う圧倒的な数の消費者のニーズに依存して、後期資本主義社会は栄えたのである。
環境破壊と資源枯渇と先進国における人口減と金融ゲームの破綻によって、「資本主義市場経済の弔鐘」が耳障りな音を立てて鳴りだしても、消費活動を「アイデンティティ基礎づけ」的なものとして進めようとする諸君の頭のつくりは急には変わらない。
アイデンティティというのは幻想だからである。
消費主体が生理的欲求や物質的必要に基づいて消費している限り、人間の消費活動には限界がある。
どれほど卑しい人間でも、1日5食6食食べ続けることはできないし、服だって一度に一着しか着られない。
人間の身体が消費活動を限界づける。
しかし、消費主体が「自分は何ものか?」という幻想構築のために消費するようになれば、消費活動には原理的に限界がない。
ギルティフリーにしてもサステナブルにしても、それが消費主体のアイデンティティ構築にかかわる限り、「これで終わり」ということはない。”
商品経済から贈与経済へ (内田樹の研究室)

“教育関係の取材がある。
学生や若いサラリーマンたちにどうやってコミュニケーション能力をつけたらよろしいのかというテーマである。
別に起死回生の妙手というのはありませんとお答えする。
そう答えたら、片づかない顔をしていた。
誰でもすぐにできるような妙手があれば苦労はない。
コミュニケーション能力というは平たく言えば「生きる力」ということである。
そのようなものを汎用的教育プログラムとして「はいよ」とご提案することは誰にもできない。
ときどき「これさえやればコミュニケーション能力が一気に身につきます」というような「はいよ」本を書いている人がいるが、そういう本を書いている人を信用してはならない。
「信用できる人間」かそうでないかをみきわめるのは「生きる力」のもっとも基礎的なもののひとつであり、このような本を手にとってふらふらと買ってしまう人は、その一点においてすでに「生きる力」の伸びしろが少ないことが露呈してしまうのである。
人間の生きる力を高めるためには、長く、複雑なプロセスが必要であり、「それをひとつ即席で」という要請そのものが、生きる力を育てることを妨げているのである。
訊かれたって、日本の子どもたちが一気にコミュニケーションの達人になるような汎用性の高い教育プログラムがご提案できるはずもない。
繰り返し言っているように、ほんとうにたいせつな仕事は「雪かき」や「どぶさらい」のようなものである。
別に感謝もされないし、誰かに誇るものでもない。
「やらないとまずいよな」と思う人が自分の家の前から始める。
それだけのことである。”
商品経済から贈与経済へ (内田樹の研究室)

“日本では、高度経済成長の時代に制度設計された公的年金や医療保険が、想定外の少子化や低成長、デフレにより事実上破たんしています。
予算を拡大するという省益のために自己増殖していった官僚組織と既得権益層の利益を代表する政治家に蝕まれた日本経済は本来の実力を発揮できず長期停滞を余儀なくされています。
そしてこういった矛盾の辻褄を合せるために積み上げられた莫大な政府債務が、現役の労働者や未来の労働者に重くのしかかっていくことでしょう。
それがさらに陰鬱な長期停滞を生むという悪循環を日本は転げ落ちていくのです。 日本もやがてJALのように約束した年金を払えないといわなければいけくなる時がすぐにやってくるでしょう。
そして現役の労働者が過去の失政の敗戦処理をずっと続けていくのです。
さまざまな負の遺産を背負いながらね。”
金融日記:JALって日本という国の縮図だね・・・

Nov 24
“よく「政治の話なんて興味ない、そんなこと考えたって得にならない」という
ようなことを言う人がいる。
なるほど、「個人として生きる」という意味で、それもまた一つの価値観だろう。 ただ、そういう人は上記のような人たち以上の努力をしつつ、いろいろなしがらみ
を絶つ覚悟があるのだろうか。 実は、自分の目の前のことしか考えないという姿勢は、長期的にはとてもリスクの
高い生き方だと思う。
僕にはとてもそんな勇気は無いので、これからも大きな話をし続けるつもりだ。”
海外脱出する覚悟 - Joe’s Labo

“それは「秀才を権力中枢に集中させる」という手法である。
つねづね申し上げているように、制度の健全はそれを構成する要素の多様性に担保されている。形態、組成、特性、機能を異にする人間的要素が絡み合って混在する社会システムがいちばん負荷にたいする耐性が強い。
均質性の高い個体が集中した部位からシステムは崩壊する。
それを「隙」と言う。
武道では「足が揃った状態」を「隙」と言う。
足が揃った状態にいると動線の選択肢が最小になるからである。
「隙がない」というのは、べつにがちがちにガードを固めているということではなくて、「次にどういう動線を選択するか予測できない」ということである。
だから、「次にどういう動線を選択するか予測が可能である」状態を「隙がある」と言うのである。
言い換えると、システムが局所的につよく均質化すると、それがシステム全体の「隙」になり、そこからシステム・クラッシュが始まるということである。
局所的な過剰な均質化によるシステム崩壊の場合は、とりあえずどこから崩壊が始まるかが事前に予測可能である。
予測可能である限り、システム崩壊はそれほど破局的な事態には至らない。
私たちが求めているのは「バカな、あるいは邪悪な権力者の交替」であって、システムそのものの崩壊ではない。
しかし、権力者はその定義からしてシステムの中枢に、深く巣喰っている。
これ「だけ」を取り出して、システムそのものは最小限の被害にとどめておかなければならない。
肉を切らせて骨を断つ。
そのアクロバティックな課題を解くために日本人が考案したのが、「権力中枢にできるだけバカを集めて、そこから先に腐らせる」という手法だったのである。
それを繰り返すことで私たちの国のすべてのシステムはイノベーションを行ってきたのである。
そして、「権力中枢に蝟集するバカ」というのは、言い換えると「お勉強のできる人たち」ということである。
秀才というのは、その定義からして「100点答案」を書くことにしか興味がない。
そういう人たちは「後退局面」とか「負け戦」とか「後始末」とか「負けしろの確保」とかいうことについては対応できない。
というのも彼らは「絶対負けない」ということを信条として、秀才としての自己形成を果たしたわけだからである。
こういう人たちは外交や軍事にはまったく向かない。
東条英機というひとは陸士・陸大卒の秀才であり、100点答案を書く名人ではあったが、軍事的にはまるで無能な人物であった。
それは彼の起草した『戦陣訓』を読めばわかる。
曰く「必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。勝敗は皇国の隆替に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。」
「百戦百勝」は不可能な軍事的事実である。
そんなことは誰でもわかる。
誰でもわかる不可能事を平然と書けるのは、「過去に不可能であった単称言明から、それが未来永劫不可能であるという全称言明は帰納できない」というヒューム的遁辞が用意されているからである。
万分の一でも可能性があれば、「100点の答案」を書きたくなるというのが秀才のピットフォールである。
満州事変以後、太平洋戦争敗戦に至る全行程において、大本営は「これがこうなって、あれがこうなれば、皇軍は完全勝利する」という類の「風が吹けば桶屋が儲かる」式というか「わらしべ長者」式というか、そういう「うまいことだけが選択的に続けば、圧倒的勝利を収めるであろう」的推論だけを行って戦争を遂行した。
これは秀才だけが能くなしうる仕事である。
日露戦争から35年、日本の軍事機構には秀才だけを登用し続け来た。その結果、太平洋戦争開戦時に、日本軍の中枢には、参謀本部にも軍令部にも、もう秀才しか残っていなかった。
真珠湾攻撃は秀才の「100点答案」である。
という話をする。
軍司令部に秀才ばかりを集めてしまうと、遠からず軍が「そこからシステムが崩れる」弱い「環」になることを、おおかたの日本国民は無意識的には察知していたのだと思う。
軍人たちのことを嫌ってもいたはずである。
そして、無意識的には「彼らが国を滅ぼし、同時に彼らも滅びる」ことをかなりの確度で予測もしていたはずである。
けれども、日本人は「そういうやり方」以外に権力者を交替させる方法を知らなかったのである。
日本の権力者交替の手順は昔も今もずっと同じである。”
どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか (内田樹の研究室)

Nov 23
“ドラゴンクエストの「序曲のマーチ」のメロディは、出来上がるまでに5分とかからなかったという。しかしすぎやまによると、それは「5分 54年」なのだと言い、それまでの54年の人生があって初めて「序曲」を世に生み出すことができたという。” すぎやまこういち - Wikipedia (via konishiroku) (via nakamushi) (via uessai-text) (via takojima) (via hain) (via otsune) (via appbank)



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