another day

Nov 9

だから、和牛であっても、国内でほとんど生産されている鶏卵も、輸入飼料を使っているので、極端に自給率は低くなってしまいます。たとえば鶏卵は、96%が国内で生産されていますが、カロリーベースで計算すると10%を切っていることになっています。輸入の多い牛肉でも、国内で4割程度が生産されていますが、カロリーベースでは1割程度の自給率になってしまいます。
問題はだから飼料です。飼料を輸入している限り、自給率アップには無理があります。だから、いざと言うときには減反政策で余っている休眠地で飼料を耕作するだけでも、自給率は大きく改善します。自民党の石破さんはこの点も言及されていました。

カロリーベースではなく、生産額でみると、食糧自給率では70%にもなり、主食の自給率も60%にもなります。つまりカロリーベースだけで自給率を発表するというのは、そこになんらかの政治的な意図があるとしか考えられません。本来なら、マスコミは、そういった食糧自給率の罠をしっかり報道する責任があるはずなのですが、無批判にカロリーベースの数字をあげているのが現状ですが、久しぶりに産経が食糧自給率にかんするいい記事を載せていました。
贅沢と浪費の日本、「食料自給率41%」は低いのか?

それによると、たとえカロリーベースで計算しても、日本の食糧自給率で分母にしているのは、贅沢と飽食の現状を考えているけれど、国家の安全ということでは、贅沢と飽食を前提として考えるべきでないので、平均的な必要な熱量である一人2000キロカロリーに分母を置き換えるべきで、それだけでも食料自給率は50.6%となるそうです。
自給率よりは、どんどん税金が生産が非効率な兼業農家にまで投入されていること、さらに流通経路の長く、物流費も高い、廃棄される食糧が多いことなどで、消費者が高い食品を買わされていることのほうがよほどか、現実的な問題であり、前向きな解決策もでてくると思います。

大西 宏のマーケティング・エッセンス:食糧自給率で農政を考えるのはそろそろ止めたら - livedoor Blog(ブログ)

“常識のある人は、自分を世間に合わせようとする。非常識な人は、世間を自分に合わせようとする。ゆえに非常識な人がいなければ、この世に進歩はありえない。” クレイジーパワー 社会起業家―新たな市場を切り拓く人々 - 情報考学 Passion For The Future


Nov 8

Nov 7

実験条件がどのくらいきちんとしているのか、よくわかりませんけど、まあここで報告されていること自体はそのとおりなのでしょう。イオンでウィルスを無力化することは可能でしょうから。
だけど、これって家庭での使用条件と全然違うではないですか。
放電でできるイオンは再結合しちゃうから、遠くには届きにくいですよね。ナノイーは「届く」が売りで、プラズマクラスターは送風機とかで遠くに飛ばそうとしています。もともと届かないのですよ。小さい箱の中なら放電によってもうもうたるタバコの煙も除去(まあ、壁とかに付着するんですけど)できることは、そこらの通販広告にも出ているとおり。問題は「効果の及ぶ範囲」じゃないのかなあ。

加えて、そもそもインフルエンザは空気感染じゃなくて飛沫感染だから、こういう実験が現実の感染にどう関係するのか、まったくわかりません

実際、新聞記事は国立感染症研究所の岡部信彦・感染症情報センター長のコメントを引いて
……….
「通常は、せきなどてウイルスが飛び散る飛沫感染や、手にウイルスが付くことなどによる接触感染でうつる」として、空気清浄機に過大な期待をするのは無理があると指摘
……….
と書いています。
全然意味がないわけでもないのでしょうが、ウィルス対策としてどの程度の効果を期待できるのか、まったくわかんないです。
補助的な意味くらいはあるのですかね。

空気清浄機とインフルエンザ・ウィルス

“学校をめぐる「儀礼」の多くはその「わからないけど、わかりそう」というグレーゾーンに子どもをとどめおくために、きわめて巧妙に構築されているのである。
学校制度を構築している無数の「よく意味のわからないきまりごと」については、これを軽々に「合理的」判断に基づいて改廃すべきではない。
たとえば学校というのは通常「装飾性のつよい、ことごとしい建築物」であるが、これはそこが「非現実的なことがなされる場」であることを子どもたちに印象づけるための仕掛けである。
養老先生によれば、ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。
「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。
「この中で語られることは現実の話じゃありませんよ」ということを外見の過剰な装飾性によってあらかじめ「おことわり」しておくのである。
学校もそうだと思う。
制服が決めてあったり、時間割があったり、煩瑣な「どうでもいい規則」が定めてあるのは、そこが現実の合理的判断が適用できない場であるということをダメ押しするためである。
そういう「非現実ですよ、ここは」という枠組みがあってはじめて、子どもたちは奇想天外な話や魂をわしづかみされるような理論を聴いても、チャイムが鳴ったとたんに「魔法から覚めて」、校門から走り出て、にこやかに現実に帰還することができる。”
学校の制度性について、など (内田樹の研究室)

Nov 5
“民主党は余りにも人によって幅がありすぎるので、正直言って“ぶち壊し”以上の
役割は期待していない。ある程度状況が進んだところで、もう一度ビジョンを問う
選挙が必要になるだろう。
自民党はやっぱりというかなんというか、野党になってからの空気っぷりからしても、
何にも考えてなかったというのが明らかなので、この際みんなの党に議席を増やして
もらい、有力な対立軸を形成して欲しい。
あのドタバタ結党で社民党に並ぶ得票数なのだから、事前準備さえしっかりやれば
20くらいはいけるのではないか。まあ社民なんかと比べるのは失礼だろうけど。”
二大政党制は、民主党とみんなの党で良いのではないか - Joe’s Labo

“自己史がそのまま哲学史であるような一種の幸福な自己肥大の中に生きた青年たち。
このような知的エリートを生み出す社会的基盤はもう存在しない。フランスにも、アメリカにも、どこにも存在しない。
そういう意味でも、ひとつの時代が終わったのである。”
追悼レヴィ=ストロース (内田樹の研究室)

Nov 4

しかし50代以上の経営者は、こういう実態を知らない。その典型がNHKだ。先日もあるパーティで後輩に会って「最近どう?」ときいたら、「あの経営陣では、何を報告してもわかってもらえなくて・・・」と嘆いていた。会長はビール会社の元社長だし、理事もディレクターや政治部の記者が多く、キーボードにさわったことがない人もいる。そういう人はネット配信は「技術的な問題」だと思っているので、技術担当の理事にまかせてしまう。他方、テレビ技術者は「ネットなんて放送じゃない」とバカにしているから、なるべく本業のじゃまにならないように最小限にネット配信をやる。

私の印象では、こういう世代間デジタル・デバイドともいうべき亀裂が、役所と企業とを問わず世代横断的に走っていると思う。その境目は現在の50歳ぐらいで、私などはデバイドされているほうだろうが、失うものがないので、わりあい客観的に見ることができる(と思う)。私と同年代の経営者や官僚になると、部下から「一次情報」が上がってくるので、外部のメディアの客観的な情報より都合のいい身内の情報を信じる確証バイアスが強い。

こういうバイアスはある程度はどこの国でも見られるが、日本で特にその傾向が強いのは、年功序列によって団塊世代のアナログ老人がいつまでも経営者や官庁の幹部に居座っているためだろう。これは残念ながら、今から教育しても無駄で、彼らが退場するのを待つしかないが、それにはまだ時間がかかる。ビジネスマンは手遅れにならないうちに、つぶしのきくスキルを身につけて転職するか起業するなど、人生のオプションを広げておいたほうが安全だろう。

アゴラ : 世代間デジタル・デバイド - 池田信夫

Nov 3

民主党の総選挙圧勝を受けて、方針として「規制緩和」と「小さな政府」を目指した小泉/竹中路線は間違いであった、政策論争は決着した、と声高に勝ち誇る論客、ブロガー、その他大勢の方々をあちらこちらでお見受けしますが、オツムが単純にできていらっしゃるようです。前回のエントリーでお話しした「経典主義」が日本にもたらした弊害の一つは、なぜか日本人の多くの人々がこの混沌とした世の中に「正解」というものが存在していると思い込んでおられることです。こうした思い込みの「正解」という価値観をふりかざし、これをもって国の政策を評するのみならず、国民と国民生活の全般をも俎上にのせて、やれ勝ち組だ、負け組だ、負け犬だ、ハゲタカだ、「官僚はみんな馬鹿だ」、「キミには○○力が欠けている」、「これからの時代は○○力が人生の勝敗を分ける」などなど...青息吐息の(はずの)ニッポン・メディアはレッテル貼りに大忙し。いささか短絡的に過ぎないかと思うのは、海外から斜に眺めている私だけでしょうか。

前世紀、「満州は日本の生命線」などという、軍事費削減反対スローガンを「正解」と思い込み、「バスに乗り遅れるな」と戦争への道をつきすすんでしまった過去をもうお忘れなのでしょうか。戦前から台湾/満州/朝鮮の植民地放棄と加工貿易立国を唱えていた石橋湛山の存在を、もう一度思い返してほしいところです。「隷属への道」はなにも経済だけの話ではなく、個人の脳細胞にも続いているのです。

経典主義者たち(「受験エリート」といいかえてもいいかもしれません)による、不毛な「模範解答探し」を聞き及ぶにつけて、私は量子物理学者、リチャード・ファインマン博士の次の言葉を思い起こし、時には安易な道に進みかねない自分を戒めています。

「私は迷うこと、不確かなこと、そして無知を恐れない。知らないことに囲まれて人生をおくる方が、間違っているかもしれないことを信じて生きるよりも、よっぽど楽しい。」

今、日本史上空前の繁栄をもたらした一時代の終焉と低迷の端境において、多くの日本人、特に若い世代の人たちは、いままで信じてきたものや、当たり前と思っていたことがらを考え直さなければならない時代にさしかかっています。しかし、別に恐れることはありません。これはなにも日本だけの話ではないのです。大なり小なり、いやしくも先進国と呼ばれる国々が目下共通に抱える「今」という歴史の転換期における命題なのです。こうした時代に必要なのは、明日をも知れない斜陽産業、既存メディアの手による、日本という枠組みに限定された安易な価値観に右往左往することではなく、一人一人の日本人が自分の頭で、自分なりに考え、自分だけの答えを見つけようとする努力でしょう。

私はこの困難な時代を乗り越えた、5年後、10年後の日本と日本人がより優秀で、たくましく、マチュアな国民になっているであろうことを信じています。(「マチュア」なんてバタ臭い言葉がお嫌いな向きは、福沢諭吉の「独立自尊」という言葉をご利用ください。)

アゴラ : これからの日本人 - 矢澤豊

Nov 2

「ん−、何がしたいのかと申しますと、私は休日にゆっくりできて、食べるに不自由のない生活が送れれば満足です。それ以上は望みません」
「っていうか、正直に言うなら、やりたいことは特にありません」
「いや、内定が欲しいだけで働きたいわけじゃないです。当然でしょ? 御社にしたって、ほかの内定次第では蹴るつもりですよ」
「自己アピールとか、そういう話にはうんざりしています。お互いウソをつくのはやめようじゃないですか」
「志望動機って、つまり御社についてうまいお世辞を言えってことですか?」

 なんて、こんなことを言うと面接で落とされるに決まっているから、意欲ありげな話をしているだけで、本当のところ、大半の学生は自分の願望すらうまく見つけられていない。

 それで良いのだ。

 人を幸福にするのは意欲や夢ではない。
 むしろ夢は人を不幸にする場合が多い。
 でなくても、夢を持っている人間は面倒くさい不満屋だったり、話のわからない堅物だったりして、付き合いにくい。

 面接で型どおりのウソをつけるようになることが、社会人として世間に対応するための最初の関門ではあるのかもしれない。
 とはいえ、面接官は、学生のウソを見破っている。ただ、ウソであれ芝居であれ、真摯に取り組んでいる人間の態度は人の心を打つ。そう思って頑張ってみてほしい。
 
 面接は、実力であるように見えて、あれは面接官との相性だったり、その年の採用傾向の偏りだったりして、結局のところ、大筋としてはドラフトと同じく、偶然が結果を支配しているところのものだ。

 偶然に支配されない方法はないのだろうか。
 偶然から自由なのはコネ入社の人たちだけだ。
 でも、彼らは、必然というよりやっかいな宿命に囚われている哀れな囚人だ。
 と、そう思ってこの困難な期間をやり過ごしてくれ。健闘を祈る。

シューカツは是非、上から目線で:日経ビジネスオンライン

申し訳ないと思っている。

「書き手がわからないで書いているものを、読者なんかにわかられてたまるものか」

 とは言わないでおく。が、当コラムは、必ずしも明確な主題を展開しているテキストではないということは申し添えておきたい。

 文章は、テーマを持っているべきだとする考え方がある。
 ビジネス文書について言うなら、おそらくそれは正しい。報告書や現場リポートは、正しく主題に沿って書かれていなければならず、明らかな結論を以て着地せねばならない。なんとなれば、ビジネスのドキュメントは、情報を伝達する媒体だからだ。

 が、雑文はその限りではない。
 文章は、書き手が考えた結果である以前に、人が何かを考えるための道具(ツール)だ。

 であるからして、結果として行きつ戻りつしただけで終わったのであっても、それはそれでかまわない。読み物として読者に一定のスリルを提供できているのであれば、だが。

 たとえば、「カラマーゾフの兄弟」は、あの長大な小説全体を通じて、確固たる主張を展開しているわけではない。むしろ、「人間って、何なんだろうね?」ぐらいな事情を模索することに終始して、それで終わってしまっている。

 だから、ドストエフスキーは、「作者は何を言おうとしているのか」という、国語の試験の問1みたいな設問を、おそらく拒否するだろう

「オレにわからないことが、どうしてキミらにわかるのだ?」

 と、彼は言うはずだ。

シューカツは是非、上から目線で:日経ビジネスオンライン

“学校教育の人類学的使命はきわめて散文的に言ってしまえば、「同学齢集団から15%程度の『おとな』を創り出すこと」である。
あとの85%は子どものままで大丈夫である。
というか、その方がよいのである。
「おとな」は共同体の延命のために必須の存在であるが、「子ども」の中にもまた共同体の「ブレークスルー」をもたらすような破格な個体が混じり込んでいるからである。
もちろん85%のうちの、ほんの一握りだけれど、そういう「幼児的天才」はやはりこれもまた共同体の生き残りのためには必須の存在なのである。
教育はそのようなまったく「ありよう」の違う(でも、最終的な人類学的機能においては協働する)二種類の個体を同時に、同じ場所で、育成するためのプロセスである。
そのようなややこしいプロセスを一律の原理でコントロールできるはずがない。
それに、教師の中にも「おとな」もいれば「子ども」もまじっている。
「おとな」の教師に就いても、さっぱり成熟できない子どももいる。逆に「こども」の教師の幼児性にうんざりしてさっさと自力で「おとな」になる子どももいる。
いろいろである。
それでよろしいのである。
繰り返し言うように、子どもを成熟に導く方法は子どもの数だけある。
ただせめて、制度を総括的に管理する立場にある人間だけは、「教育は子どもを成熟させ、共同体を維持するための装置である」という基礎的事実を肚にきちんと納めておいていただきたいと思う。
それは教育を自己利益追求の場として、まるごと市場原理に委ねることではないし、反対に、教育をつうじて滅私奉公するファナティックな愛国者を育てようとすることでもない。
市場原理主義者も、イデオロギー教育主義者も、どちらも、こどもの幼児性を強化し、成熟を阻止しようとすることにおいて双生児のようによく似ているからである。
現場の先生がたはよくおわかりくださったようであるが、果たしてこの理路が教育行政の当事者たちに通じるであろうか。”
週末は浜松 (内田樹の研究室)

Oct 30

それにしても、自民党が与党批判、与党の揚げ足取りに終始すると、かえって自民党にとってマイナスとあり、堂々と自らの理念や政策で議論すべきだ、新しい野党の姿を見せるべきだという声が結構ありました。まさにそう思います。
しかし、蓋を開けてみると、谷垣さんも、西村さんも与党批判ばかりでした。それは相手に反論するチャンスを与えているようなものです。むしろ結果としては鳩山さんの存在感を強めてしまいました。それは作戦としてはいかにもまずいですね。

マーケティングの基本ですが、競争の本質は、どちらの提案、つまり商品やサービスまた広告などが、消費者、またお客さまのハートにより深く届くかです。政治も同じです。自らの商品としての政策アイデアが乏しいから批判しかできないのだと思われてしまうということです。商品価値で相手を超えられない、だから値引きしか対抗手段がないというのと近いものを感じます。

野党としては若葉マークなのでしかたないのかもしれませんが、そういった知恵も働かないというのでは、自民党再建の見通しも暗いと思います。
自民党は、負の遺産も実際に借金も一杯背負っているので、心ある議員の方は、新党をつくるか、あるいはほんの数人でも「みんなの党」にでも移籍したほうが、国民に訴えかけるチャンスも、主張のインパクトもでてくるようにますます思えてきました。

大西 宏のマーケティング・エッセンス:国会議員さんは、野次をやめてTwitterをやろう - livedoor Blog(ブログ)

“ちなみにビルゲイツは学生時代に常に数冊の本を持ち歩いていて、少なくとも年間300冊以上は読んでいた
それが原因で学校の連中に「prn(印刷物を意味するprintからきた侮蔑する言葉)」とあだ名を付けられたんだが
ビルゲイツはいい年になった今でも当時のあだ名をひどく嫌っているらしく
windowsで新しいフォルダを作るときに「prn」という名前を付けられないようにした”

ビルゲイツの学生時代のあだ名 : 2chコピペ保存道場

マジで作れない!

(via musicalife) (via crossbreed)

(via ubiquity-life) (via loveanymore) (via tscp) (via appbank)

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